疾病信号

今日の学びは、
「肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号」疾病信号
からの学びです。

その2
「心には形がなく、肉体にはあるが、この二つが全く一つになっていて、ちょうど電球(肉体)と電流(心)とのようになっている。電流が弱いと火がホタルのようになり、強いとパッと明るくなる。人も恐れると青くなり、はらをたてると赤くなる。ひどく驚くと、腰がぬけたり、全身が動けなくなったりすることある。」

今日はここから、
「これでみると、肉体は心の入れ物だといえる。それが、もちと重箱といったような、そういった容器(いれもの)ではなくて、蓄電池をみたようなもので、形のない心を、形のある肉体の中に一ぱい入れているのであり、また、その心のようすで、容器の肉体が一々変っていくので、「肉体は、心の象徴(あらわれ)」というより外はない。象徴(シンボル)というのは、それだけで十分表れてしまっているというわけではないが、これ以外には表わしようがないほど、うまく表しているということである「桜の花が、大和心のシンボルである」というように、人の肉体は、その人の心をそのまま表しているから、人相とか手相とか見て、その人の心持が読めてよいわけである。いや、その人にあえば、初対面の人でも、その人物の代替は検討がつく。そうだとすれば、肉体に病気が起こった場合、これは、肉体だけがわるくなった…と片づけてよいであろう。(肺がわるい、胃が痛む、足が自由にならぬとかいう場合)これまでは、多くは、肉体だけの故障と考えられて、そうした療法が加えられたが、実は身体がバイキンにおかされたり、悪くなったりする今一つその奥の原因がある。それは心に不自然なひがみ、ゆがみが出来たことである。そのとき病気の原因になっている心のまちがいは、実は、その人の家庭の不和、事業の不振等から来る(というよりも、そうした生活環境(くらしみち)とぴったり一致している)もので、ほんとうは、生活(家庭や仕事)の暗影(不自然さ)が、自分の肉体に赤信号としてあらわれているのである。そのあらわれ方が、又実に見事に、その心の不自然さをうつしているのである。」

今日は、ここまで、
つづきは明日

今日の心がけ
『家庭や仕事の不自然さが、自分の肉体に赤信号として表れる』

今日も、感謝、謙虚、誠実で、明るく挑戦する心を大切にしたいものです。

今日のアウトプットは
「ありがとうを100回以上言う」です。

今日一日、
朗らかに、安らかに、
喜んで進んで働きます。

志・愛を持って
積極的に強気でいきまーす。

技術編はPC問題を別サイトでアップします。
https://sheetmatic2.com/


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